マイケル・ムーアが提示するアメリカ社会と国民性
〜「ボーリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」〜
佐々木 亜希子



 7月下旬のNYは猛暑だった。照りつける日射しと不快な湿気が迎えてくれた。道は混み、ホテルの宿泊はどこもいっぱい。運転手は、2001年の9.11以降NYの観光客が増え、今年はこれまでにない観光客だと言った。以前は夏のNYに観光に来る人など少なかったのに、世界貿易センタービル跡―グラウンドゼロを中心にテロ以後のNYを観ておこうという人が多いのだという。皮肉なことだ。
 あれから4年経ったが、事件に深く関与しているであろうブッシュはいまだに(不正疑惑だらけの選挙をのうのうとくぐり抜け)大統領の座につき、国民を守ることを建て前にして、テロの恐怖と正義感を煽り、周りの人間たちと軍需産業で儲けている。彼等は標的をアフガニスタンからイラクにし、「敵国」の大勢の市民が殺されていくことに何の憂慮もない。
 世界の戦争、紛争は絶えない。殺しあいも、事件も。大勢の人間が、報道もされず殺されている。武器はますます保有され、軍需産業はますますさかんになる。人はなぜ殺しあうのか。
 数年前、「ボーリング・フォー・コロンバイン」を観た時は衝撃だった。多くの国民が銃を合法的に所有し、年間1万 ○もの銃犯罪がおきるアメリカという国の悲しい側面を見ながら、監督とともに「なぜ?」「どうしたら?」が痛みを伴って襲ってきた。
 「アホでマヌケなアメリカ白人」「ボーリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」のマイケル・ムーア監督は、とても勇敢で、稀有なスタンスの映画監督だと思う。彼は、映画監督であるだけでなく、ジャーナリストでありエンターテイナーであり、アクティビストである。多くの映画は、人間や社会の真理や真実をフィクションによって描くか、ドキュメンタリーという形で映し出そうとし、ドキュメンタリー作家は対象物に対して確かになんらかの影響を及ぼすが、彼の場合は、自分の立場と能力と正義感で自分の目から見た真実を伝えようと奮闘するでなく、「記録映画」を撮る事を理由に果敢に様々な社会問題に関与し、行動をおこしていく。「ボーリング・フォー・コロンバイン」では、コロンバイン高校の銃乱射事件で被害者となった少年二人を連れてKマートへ直談判に行き、銃弾の販売中止を勝ち取る。全米ライフル協会の会長であるチャールストン・ヘストンに直接インタビューに行き、銃による幼児の犯罪やアメリカの銃被害の多さ、協会のあり方について問いつめる。「華氏911」では、愛国者法案を読みもせず可決する議員たちに替わって、街宣車を走らせながら自分で読み聞かせて歩く。
 これだけ、「映画」や「マスコミ」というメディアを武器に、堂々と偽善や自分が悪だと思う政府と戦える人はなかなかいない。マイナーになりがちなドキュメンタリーを、エンターテインメント性とムーブメントを味方に、世界中で観られる作品にしていく手腕も敬服せずにいられない。
 
 彼の映画はいう。「恐怖で人はどうにでもなる。果てしなく続く恐怖のオーラを出せばいい」国民を恐怖に陥れ、防衛第一にするのに、テロは非常に有効である。くり返される報 道も。正義のアメリカ政府は、正義の戦争に導き、世界を牛耳り、石油産業、軍需産業は思いのまま。そして国民は「他人は敵」「いつ何があってもおかしくない」「他人が信じられない」常に恐怖と隣り合わせの毎日。心に平和がない。
 これは、今回、NYで軍事博物館―INTREPIDへ足を運んだ際に感じたことでもある。INTREPIDは、大平洋戦争中、日本の特攻隊「カミカゼ」が追突していった巨大軍艦。当時の戦争の状況や現在に至るまでの特に海軍の功績、戦闘機や戦車などを展示して、この軍艦そのものを軍事博物館にしているのだが、驚愕したのは、日本との「戦争」のとらえ方の違い。それは軍を称え、正義の戦争に勝ち行くアメリカを誇るものばかりである。そして訪れる親子連れの客、子供達の多さ。その子供達に大人気の、ショップに並ぶたくさんの軍艦や戦闘機のレプリカ、プラモデル、ポスター、軍のTシャツ…。アメリカにとっての「WAR」は、日本人の使う「戦争」と決してイコールではない。私たち日本人は、「戦争」という言葉に、嫌悪感と「二度とあってはならない悲惨なもの」というイメージを持つ。だが、「WAR」は「戦い」「闘い」であり、しかも「勇敢に闘って正義を勝ちとる」というようなニュアンスが含まれる気がする。そして彼等にとって「WAR」はいまだに、日本人にとっての戦争より、身近なものなのだ。
 アメリカは広く巨大な国である。多くの人種、多様な階級の人間が存在し、貧富の差も激しい。多くの民を支配する(あるいは導く)者たちがどんな人間でどんな政策をとるかで、ここの民の幸福は大きく変わるし、世界全体が変わってくる。
 願わくば、武器などなくても安心して平和に暮らせる世の中を。一部の人間たちの大きな利益の搾取や、思想の違いのために、犠牲になったり精神が歪んだり、憎みあったり、殺しあったり、しなくていい世の中を。マイケル・ムーアの映画を観るたびにそう願わずにいられない。

(2005年シネマ・エッセー集「映画と私vol.8 〜社会派映画〜」に寄せて)


 
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